自律神経失調症・うつ・イライラ・不安・頭痛・腰痛などでお悩みのお悩みの方へ
はじめまして
鈴木浩子です。
趣味は、温泉巡り
特技は、出会った人の魅力を見つける事
苦手な事は、リバウンドしないダイエット
大好きなものは、ご飯と納豆とさんまの塩焼き
大好きな言葉は、ありがとう
2008年仙台で開業以来、多くの素敵なクライアント様と出会い支えて頂いての今があることに、心から感謝致します。
小児病棟のナースになりたくて看護学校に入り、卒業後に国立病院の小児病棟勤務。
一生懸命病気と闘ってなお逝ってしまう小さな命をお見送りするたびに、その不条理に悔しくて、悲しくて、帰宅後に泣いていました。
そんな私が、再びその小児病棟に戻ったのは、病気の子供の母親としてでした。
何度も入退院を繰り返しても悪化するだけの中、思い切って転院を希望した先で、誤診と判明。
「長くて余命3カ月。世界的に助かった症例はまだない。99.9%助からない。」
「覚悟してください」
医師の言葉に、何を覚悟すべきかわかりませんでした。
抗がん剤で苦しむわが子の傍らで、かつて勤務していた病棟で誤診だったことで、すでに末期になっていたことへの申し訳なさと罪悪感に押し潰されそうになりながら、私は覚悟しました。
この子がなくなる日に一緒に私も死のうと。
そんなある日、娘に隠れて泣いていた私を見つけて言いました。
「ママ、ママはおひさまなの。
なっちゃん(娘)はひまわりだから、ママ大好きだよっておひさまに向かって大きくなるから。
だから大丈夫。
ママ、泣かないで。笑って。」と
その言葉に、やっと気が付きました。
母親の私が覚悟すべきことは、
『生きている最後の瞬間まで、笑顔で共に生きること』だったと。
そう告知された日からもうすぐ30年以上がたちました。
たった0.1%の奇跡。
それでも、たくさんの奇跡とたくさんの出会いで、娘は今も生かされています。
その病棟での、とある昼下がり。
危篤状態を乗り越えて、一般の病室になり、ホールの椅子に座っている3歳の娘。
肺がんの末期らしい入院中の二人のおじいさんが娘に声をかけました。
「どうやったら僕は生きられるかなあ?」
すると
にこにことまっすぐにそのおじいさんをみつめて
「あのね、生きようって思うことだよ」と。
「そうか、そうだね、もうあきらめてたよ。生きることに」
と涙を流すふたりのおじいさん。
あの時のあの忘れられないひとコマが今の私の仕事の原点のような気がします。
生きようっていう思いをサポートさせて頂く事
そして辛くて忘れてしまいそうな笑顔を引き出す事
今を乗り越えていく力は、きっとあなた自身の中にあります。
だから自分をあきらめないでください。
いつからだって
どこからだってきっと変われるはず。
眠っていた元気と笑顔を引き出すお手伝いをさせて頂き、セッション後の変化や感動を共有させて頂けることは、喜びであり感謝です。
看護師だった私は思います。
西洋医学は必要です。
けれども血液の検査データやレントゲン等の画像にも出てこない症状の原因にお悩みの方はぜひご相談下さいませ。
実は、私にはもう一つ特技があります。
人の体に触れた時に『氣』の流れが悪い部分や、そこの状態がわかること。
なぜなら同じところが同じように痛み、そしてそれがリセットされてゆくのを自分の体で体感できます。
操体法を学び始めた頃にそれに気が付きました。
どうやらそれは操体法には関係なく、私独自の事であることにも。
知人達は、それを『スピリチャル系』とか『シンクロ体質』と呼ぶのだと教えてくれますが、その言葉にもなじめないし、どこか違う気がしました。
看護師だったこともあり、私には自分が体験していることの科学的根拠が必要でした。
自分が体験していることが何なのかを知りたくて、いわゆるエネルギ―療法と言われるものをいくつか学びました。
『氣』や『エネルギー』という目に見えない事象を、どのように伝えているのか興味深々で。
『氣』または『エネルギー』
その後も様々な施術家の先生の氣を使った施術を学び続けました。
そうするうちに、触れなくても氣の流れをわかるようになり、離れていても調整ができるようになりました。
遠隔療法というと、一般的にはかなり怪しい響きがあり、私自身もかなり懐疑的でした。
ただ目には見えないけれどもそこに確かにあるのが氣であり、離れていても変化するするのです。
不思議な世界なので、ご希望がなければお勧めしません。
整体の遠隔療法にも様々な方法があります。
遠隔セッションを体験し、前後の心と体の変化を感動して頂けるよう日々更新中です。
看護師
心理整体師
EFT-japan公認セラピスト及びインストラクター
介護福祉士養成教員
宝地図マスター
産業カウンセラー
大好きな小児病棟で看護師として働いていた私
26歳で整形外科病棟に配置換えがあり、勤務中にぎっくり腰でそのままストレッチャーで病室に運ばれ入院。
診断名は、腰部椎間板ヘルニア。
治療しても、なかなか症状がよくならず、ついに手術を勧められ・・・・・
まさかの大脱走?!
入院中の病棟を散歩と言って抜け出し、病院のすぐ裏にある行きつけのトレーニングジムで、初めて操体法の施術を受けました。
施術開始からわずか3分足らず。
なんとしつこい腰痛もしびれもすべて消失。
これにはビックリ!!
私が学んだ西洋医学は何だったんだろう?!
道具も薬も使わず、痛い事もせず、なぜ消えた???
そこから操体法に興味を持ち、どこか調子が悪いとトレーニングジムの代表の佐藤武先生にお願いして施術を受けては、そのたびに体の変化に驚き、毎回しつこく質問ばかりしていました。
看護学生だった20歳の時に、ある先生が言いました。
「看護師の資格でできる仕事は一つじゃない、せっかく人生。いろんな土地でいろんな仕事をしてみなさい。」と。
そのことにワクワクしました。
私の人生でしてみたいこと。
小児病棟の看護師
企業のOL
専門学校の教員
福祉関係の仕事
そして26歳で操体法と出会い、やりたい仕事がまたひとつ増え、心の人生の計画書に書き加えました。
私の人生の最後の仕事に操体法の施術をしたいと。
小児病棟での看護師
企業の保健指導員
介護福祉士養成課程の専門学校教員
有料老人ホーム看護師
介護職員研修講師
看護学校卒業後には、不思議なほど思い描いていた通りの上記の仕事をすべてさせて頂きました。
そしてその中で、興味があって続けてきたのは整体やエネルギーワークの勉強。
ついに整体サロンの開業を決めた時に、私の操体法の師であった佐藤武先生は、すでに他界なさっていました。
そこで操体法の創始者であり医師の故橋本敬三先生の最後の愛弟子である今昭宏先生のもとで再び操体法を学び、2008年 宮城県仙台市で『らくらく操体サロンえがお』開業しました。
同時に大学・専門学校でのフリーの講師として介護教育も続けながら。
整体の仕事をして行く中で、身体へのアプローチだけでは、限界があると感じ、カウンセラー養成講座等は修了していたものの、EFT(感情開放テクニック)を学びはじめました。
その後2009年 EFT-Japan公認セラピスト及び東北で唯一の公認インストラクターに。
介護事業所、町内会、介護支援専門員研修会、企業様、自治体の自殺防止のボランティア団体等々で『メンタルセルフケア』『腰痛防止のためのセルフケア』等の医療・福祉・教育の分野で心とからだのセミナーを多数開催させて頂きました。
2011年 東日本大震災の後は、『EFTによるメンタルケア』の無料セミナーを宮城県、山形県、岩手県で開催致しました。
2013年に神奈川県相模原市に引っ越し、更に様々な手技療法や、メンタルケアの方法を学び、
2017年6月横浜市にて、えがおを再開し
2018年7月相模原に移転いたしました。
同時に『快互創造塾』を主催し、介護する人にとっても、介護さあれる人にとってもお互いに快い介護をモットーに、主に介護職員を対象にした研修会を神奈川県を中心に全国各地で開催させて頂いています。
がんばれ!
がんばれ!
まだ大丈夫!
「がんばれ」と言われて育ち、「がんばることは素晴らしい」「がんばらなければいけない」と信じて生きてきました。
東北の冬
凍えるような寒さの中、両親は白い息を吐きながら外で働いていました。
農家で育った私は、毎日朝早くから真っ暗になるまで働く両親を見て育ちました。
そしてまだ幼いころからその手伝いをして育ちました。
そんな私が学んだのは、
生きていきことは、働き続けることだという事。
がんばって、がんばって働くことだという事。
例えば38歳の頃の私
二人の子供の育児と主婦の仕事、そして大きな責任と残業の多い転職先の仕事。
そのどれも優先順位などなく、手を抜きたくないという思い。
睡眠時間3時間が当たり前の日常。
そんな生活が2年ほど続いたある日
まるで「休め!!」のサインを出すように、体が悲鳴をあげました。
腰痛・不整脈・喘息・高血圧・蕁麻疹・花粉症を、ほぼ同時に発症。
内科の医師からは
「原因はストレスだね。ストレスなくせばよくなるから」と
指導という名のありきたりで当たり前のひとことと数種類のお薬。
ストレスをなくすって??
ストレスをなくそうとしてもうまくいかない事が、さらにストレスで・・・
気がつけば、整形外科・循環器科・呼吸器科・アレルギー科・皮膚科・耳鼻咽喉科などなど、診察券と薬ばかりが増えていく相変わらずの多忙な日々。
「ママ、どうしてこの頃笑わなくなったの?」
幼いわが子に言われ、ハッとしました。
知らず知らずに心も壊れはじめていました。
自分の気持ちや症状を薬でなんとかごまかしながらの毎日。
自分に優しくすることが何より苦手でした。
(まだ大丈夫。まだがんばれる。)
心の中の私がいつもそうささやきます。
でもその時の私に必要だったのは、疲れたら「疲れた」って認めて、からだを休めること。
心が「つらい」と感じたら、「つらい」と思っている自分の気持ちを認めること。
それを言葉にして、誰かに話してみること。
大切な人を大切に思うように、自分も大切にすること。
過労で2回入院してもまだ、私は自分の心の底からの本当の叫びを聞こえない、気付かないふりをしていました。
「がんばってるね。つらかったね。疲れたね。」
素直に自分の心の声を聴き、自分にそう声をかけてあげられたらと今は思います。
看護師として働いていた私だからこそ思う対症療法が中心の西洋医学の限界。
心とからだはつながっているからこそ決して薬だけでごまかしてはいけない。
なかなか伝わらい自分の心の叫び、からだの叫びが今の症状です。
そんな経験をしてきたからこそ、えがおでは、身体的な症状のみならず、怒りや、不安、悲しみ、イライラなどの心の状態の両面からアプローチさせて頂いています。
「がんばってるね。つらかったね。疲れたね。」
毎日がんばって、がんばって、それでもがんばることをやめられないあなたに心と体が悲鳴をあげているあなたにそうお伝えしたくて。